こんにちは、知多半島ナビです。今日ご紹介するお祭りは、師崎の左義長まつりです。毎年1月の第4日曜日に行われるお祭りで、「どんど焼き」ともいわれます。25歳の厄男を中心とする裸姿の若衆が、10mにも及ぶ大幟をどんど焼きの上に倒したり、起したりして「感謝」「無病息災」「大漁満足」「商売繁盛」「学業増進」などの祈りを込め、盛大に祝います。 |
師崎は、知多半島の先っちょにあります。 |
古くから漁業の街として栄えてきました。伊勢湾、三河湾で獲れる海の幸も豊富で、「崎っぽ料理」として、地元ならではの料理でおもてなししてくれる料理屋さんも多いです。 |
港からは、日間賀島と篠島がすぐ近くに見えます。こちらは、日間賀島。両島ともに、船で10分たらずの距離ですよ。 |
先端には、羽豆神社が祀られています。ウバメガシが茂る社叢は、恋のロマンスロードとも呼ばれて、国の天然記念物に指定されています。近年では、SKE48 の歌にも登場し、人気のスポットにもなっています。 |
毎年10月の第2土日曜日には、「大名行列」が行われます。羽豆神社から御旅所鳥居までの間、御神輿を始め山車、奴が練り歩きます。 |
祈りを込めて大幟旗を焼き尽くします。 |
左義長は、一般に「どんど焼き」ともよばれています。1月の第4日曜日に行われ、正月の松飾りやしめ縄、また古いお札さんやお守りを村境に集めて、お焚き上げする行事です。村々によってその形態は異なり、祭りとして発展したものが今日も受継がれているようです。幟に象徴される師崎の左義長は、25歳の厄男を始めとする裸姿の若衆が10mにもおよぶ大幟をどんど焼の中に倒したり、起したりして祝います。 幟には干支やめでたい判じ絵が描かれていますが、上部にはしめ縄が描かれ、幟自体がご神体だとも考えられています。幟と幡は同義語で、幡は幡豆(羽豆)神社の幡を意識したものであり、幡豆崎とも呼ばれた師崎の誇りを表した祭りです。師崎の左義長は、本来小正月(旧暦1月15日)の行事で、潮の引いた浜辺で行われていました。その起源は、室町時代に逆のぼるとも云われていますが、定かではありません。祭りには、幟の脇役ともいえる竹と紙で作られた小舟が登場しますが、軍艦とも呼ばれており、日露戦争の戦勝記念で加えられたのではないかと思われます。船にも去年の船玉をはじめとするお札が積まれ、どんど焼と同じ様に火が付けられ、若衆に担がれて幟の周りを3周して海に放たれます。」現在、若衆の減少により、小学生が小幟を作って参加するなど祭りも変化しようとしていますが、昔と変わらず「感謝」「無病息災」「大量満足」「商売繁盛」「学業増進」などの祈りを込めて行われています。 |
祭礼の前日、幟旗が厄男達の手によって作られます。10mもの巨大な幟は、和紙でできています。 |
代々伝わる、伝統的な図柄。干支やめでたい判じ絵が描かれます。判じ絵とは…。後に説明しますね。 |
「軍艦」と呼ばれる小舟。日露戦争の頃から登場したらしいとの事。中には昨年の船玉(航海の安全を守るお守り)やお札が積まれています。 |
祭礼当日は、南知多町観光ボランティアの観光案内もありました。 |
知多半島の先端、伊勢湾と三河湾に囲まれた歴史とロマンに溢れた自然豊かな町、南知多町では、来訪者の案内係として、「南知多町観光ボランティア」が組織されています。 この日も、師崎の街歩きのために、Aコース:左義長まつり案内、Bコース:羽豆神社案内 の2つが用意されていました。共に所要時間は1時間半。「左義長祭り」が始まる前の一時、師崎の歴史を尋ね、街歩きを楽しみました。(勿論、無料です。) |
メインの国道247号線以外は、ほとんどが細い路地。そんな中に歴史を感じつつ、散策がスタート。 |
南知多七福神、弁財天が祀られる遍照寺。流浪の俳人、山頭火も訪れたとも云われています。 |
神護寺に到着。ひざのお護り普賢さんとして、膝痛に悩む人々に御利益があります。 |
次に訪れたのは、延命寺。江戸初期の作とされる洛中洛外図屏風(南知多町重要文化財)が収蔵されています。また、作家、小栗風葉が滞在した書院もそのまま残されています。 |
きりえ工房「お」は、師崎在住の切り絵作家、山崎修氏のアトリエ。左義長のポスターをはじめ、地元に根付いた数多くの作品を輩出されています。 |
出発地点の、師崎漁港 朝市にもどって解散です。約2時間の師崎街並ハイキングでした。 |
午後になると、御神火(どんど火)の点火時間がやってきます。 |
港町らしく、係留中の漁船には、大漁旗が掲げられます。 |
敷かれた藁の上には、お正月の飾りや松飾り、古いお札等が置かれています。神護寺で祈祷を受けた御神火で燃やす事によって、魔除けの行事とします。 |
的場地区の会場には、幟旗が立てられて、神事が始まるのをまっています。判じ絵と呼ばれる図柄で、「大漁で上手くまとまる」との願いが込められています。 小さいのは、地元の小学3年生がつくった、幟旗。「サッカーが増々上手くなりたい」「縄跳びが上手くなりたい」等、子ども達の願いが判じ絵に込められています。こうやって代々、伝統は引き継がれていくんですね。 |
身を切る寒さの中、神事は始まりました。 |
ふんどし姿の厄年の若い衆が登場。昔は、身体を赤や青で彩られていたとの事。時代とともに、少しずつ変わってきました。アンパンマンやスネ夫がいます。 |
地区の総代役が御神酒をふりかけ、祈祷を受けた御神火で正月飾りの山に火を付けます。 |
「軍艦」とよばれるお船とともに火の周りを3周。その後火の中に焼べます。仕込まれた爆竹が、轟音とともに炸裂。おまつりが盛り上がってきました。 |
火の中から、引っ張り出された「軍艦」は、海に流されます。 |
さて、今度は大幟旗。威勢の良い掛声とともに、燃え盛る火の上に倒されます。 |
火のついた幟旗をみんなで立て、そして再び倒す。これを、支柱である竹が燃えるまで何度も繰り返します。 |
幟旗の根元を押さえる者、立てる者すべてが一丸となって燃え尽くすまで、なりふり構わず力を振り絞ります。祭礼の醍醐味ですね。 |
勿論、ロープを引くのも重要な役割。彼等も若い頃同じように幟旗を倒してきた地元の面々です。 |
残り火で餅を焼きます。 |
鳥東地区の主役は、還暦の面々。 |
こちらも、総代によって清められた正月飾りに火がつけられます。 |
ちょっと小振りな幟旗。年の功か、さすがに上手に判じ絵が描かれています。 |
赤い手ぬぐいが目印の、還暦を迎える厄年の面々。楽しそうです。しかし、息が上がってます。足腰が心配です。 |
でも、さすが漁師町。まだまだ現役。おめでとうございました。 |
最後は、荒井地区。 |
午後1時から順番に各地区のどんど火が点火され、最後は荒井地区。的場地区と共に、ここでも巨大な幟旗が立てられています。因に支柱はこの祭礼のため、アスファルトに専用の穴があけられています。 |
きりえ工房「お」にあった、今年の幟旗の図案。判じ絵といい絵によって願いが文章になっています。 「山は富士、海は大漁でますますうまくいく」 |
地区の役員により、清められ、火が付けられます。 |
ここから、結構な距離があるのに、充分熱気が伝わってきました。 |
軍艦を担いで、若い衆が登場。的場地区と比べると、ふんどしのスタイルが違うんですね。 |
火の周りを3周して、軍艦を火の中に焼べます。仕掛けられた爆竹が大音響とともに炸裂。このあと軍艦は海の中へ。 |
見守る、地元役員達。 自分達も若い頃は同じ事、やっていました。 |
小学3年生も、頑張って幟旗をつくりました。 「サッカーが増々うまくなりたい」 「絵が増々うまくなりたい」 |
大幟旗を燃やしたあとは、こちらでも餅まき。この日は、的場地区、鳥西地区、鳥東地区、栄村地区、荒井地区の5ヶ所でそれぞれ餅まきが行われました |
そして最後は、お餅を焼きます。来年は、ちゃんと竿に餅をくくりつけて持ってきましょう。煙だけは、いっぱい浴びて帰りました。 |
師崎の「左義長祭り」。この行事の起源は定かではありませんが、古くからの伝統的な習わしとして伝わっています。祭礼を通じて、地元の人々の結びつきを深め、街の発展を祈願する気持ちは代々受継がれて行きます。後継者不足も囁かれる中、この先も絶える事無く伝えて行ってもらいたいと思います。知多半島には、この様な祭礼がいくつも残っています。見るだけでも、地元とのふれあいを感じる事ができ、またその背景にある歴史をひもとく、よいきっかけになるのではないでしょうか。知多半島ナビでは、それぞれの地区の祭礼をお伝えしてゆきます。 |
名称 | 師崎 左義長まつり |
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ひらがな読み | もろざき さぎちょうまつり |
住所 | 愛知県南知多郡南知多町師崎 |
営業時間 | 13:00~ 的場点火 14:30~ 荒井点火 |
駐車場 | 師崎漁港朝市前に無料駐車場あり。師崎港渡船場に公共駐車場あり。50分無料1時間100円 |
行き方(詳細) | 電車の場合 名古屋鉄道河和駅より海っ子バス師崎線または、内海駅より西海岸線を利用。 車の場合 知多半島道路経由南知多道路終点へ。信号「羽豆岬」を左折した海岸沿い。 |
行き方 | 南知多道路豊丘IC から師崎方面、約10分 |
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