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豊浜鯛まつり2日目

豊浜鯛まつり2日目 天下の奇祭「豊浜鯛まつり」

こんにちは、知多半島ナビです。引き続き、毎年7月中旬の土日に開催されます南知多町豊浜の鯛まつりをご紹介します。あれ、昨日と何か違う…。そして2日目は鯛まつり発祥の中洲地区でも、盛大に祭りが開催されます。男達の海のお祭りをお楽しみ下さい。

鯛まつり2日目は鯛の遊泳からスタート。

朝7時すぎ、豊浜漁港に須佐地区の4匹の巨鯛が集結します。
舟に曳航され、港内を遊泳。

ちょっとお化粧直し。

遊泳も終わり各区に戻った鯛は街中を練歩いた後、御仮屋のある広場に再び戻ってきます。
向こうからお囃子と共にやってきました。
ん?
黒くなってる。東部区は夜の間に黒鯛に変身していました。心憎い演出ですね。

2日目も街中を練り歩きます。その後は…。

須佐の鯛祭りは、津島神社のお祭りの行事です。午後からの祝い打ち 打ち込みにそなえて御仮屋では神事がつづいています。
中では、子ども達による舞いが奉納されていました。

続々と鯛が集まってきます。
よく見ると、背びれがたたまれています。電線を引っ掛けないように工夫されているんですね。
2時頃には、須佐地区4区の鯛が勢揃い。
左から東部区、鳥居区。
鳥居区、中村区、半月区。それぞれ特徴がありますね。打ち込みまでの、ほんのひととき。

東部区。初日は赤鯛だったのに、2日目は見事黒鯛に変身。魚ひろば前で組立てられているのは、ここの鯛です。
鳥居区。ここは大中小の鯛が揃います。
中村区。豊浜交差点付近で、夜見事な電飾で飾られているのは、ここの鯛です。

半月区。昔は「お舟」と呼ばれる千石船の形をした山車でしたが、昭和51年から、鯛になりました。
中洲区。鯛まつり発祥の地区です。鯛まつりの前身は、はつかねずみとか、伊勢エビとか、クジラでした。
昭和10年の鯛。左が鳥居区、右が東部区。

その時はやってきた。

まず、各区の露払いが登場。けがれを払い清める役割の人で太い真竹を持っています。鯛のかぶり物をまとったり、愛嬌のあるメイクをしていたりします。大船頭の掛声を合図に打ち込みが始まります。
水しぶき(砂埃とも言います)をあげて、巨鯛が動く。鯛同士のぶつかり合いも勇ましい。
盛大に会場を何周か練歩いた後に、祝い打ち 打ち込みが始まります。
狙いは、御仮屋。鯛を奉納します。

何度も何度もぶつけます。
御仮屋で鯛と甚句(祝い唄)を奉納。その後は鯛を元に戻して各区に戻ります。そして祭りは終了します。

中洲の鯛まつりは2日目が本日です。

鯛まつりは、明治18年頃中洲の大工、森佐兵衛さんが祭礼に輿を添えようと「はつかねずみ」を作ったのが始まりとされます。その後「象」や「虎」などのだし物が造られましたが、明治30年頃から漁師の村の土地柄、海の動物が造られるようになりました。大正初期、大漁をきっかけに「鯛」が造られるようになり、以後、「大鯛」に定着したようです。昭和初期になり、神輿の中で御囃子をするようになり海を泳がせるようになっていきました。
長さ14m、幅3m、高さ5mの大鯛が夜遅くまで、中洲の街を練歩きます。


鳥居の奥に中洲神社はあります。この向かい側に鯛は待機しています。
中洲神社は400年程前に建てられました。「鯛」はこの神社のお祭りの添え物として出されています。
神社では担ぎ手が集まってます。はやく出たくてしょうがない。緊張は高まります。

「錨起し」の唄を合図にに早朝より出発していた、太鼓打ちお勇みの行列が戻ってきました。
露払いに先達され、一行は神社へ入ります。
お囃子方は道中ずっと笛を吹き続けています。

お祭りの花形は、2人の太鼓打ち。

ししゅうをほどこした着物を着て、あざやかな色帯を幾重にも肩からまとい、白たびをはき白鉢巻をきりりとしめ、美しく化粧をした子どもが、古式にのっとった動作で、笛に合わせて太鼓を打ちます。お祭りの大切な神事です。
各区から小学校5〜6年生の2名が選ばれます。この時の衣装は11月、豊浜太鼓打ち着物保存会によって展示公開されます。明治・大正期の衣装も含め150着余の展示は圧巻です。


大漁旗(ふらいき)を打ち直して仕立てた法被をまとった若い衆が、続々と中洲神社に集まってきます。
神事が行われる中、子供達も準備万端。

神事も終わり、中洲の街中を練り歩きます。

出発の時を待ちます。それまでの間、多くの人々の記念撮影の場所と化す。で、多くの人が口の中を覗いていく…。
彼等の役割は、電線よけ。巨大な鯛の背びれが電線を引っ掛けないように、長い竹竿でよけています。重要な役割。
お店も、お祭り仕様に。このお店、国道沿いにある有名なお魚屋さん。夕方になると黒山の人集りになります。でも今日ばかりはお休み。お祭りになると地元のお店はほとんどがお休み。それほどお祭りに専念しちゃうんですね。「家業止め」なんて言葉も昔からあるほどです。
港では、大漁旗(ふらいき)がはためきます。勿論繫留されている漁船にも大漁旗は掲げられています。先程の太鼓打ち着物と共にこれら大漁旗も11月に展示されます。

中洲の鯛は海を泳ぎます。

神社の前で、みんな揃っての記念撮影。愛知県知事、大村さんの姿も見えます。
祝込みが行われてから、そろそろお楽しみの海上遊泳が始まります。


勇壮な、中洲の若い衆。1時間程海に入っています。この鯛の中にも、囃子方が頑張っています。中はすごく蒸し暑く、上下左右に振られるのでとっても大変ですね。

こんなに倒しても、この中で囃子方は笛を吹き、太鼓を叩き続けます。
約1時間の遊泳後、大船頭(拍子木)の合図で陸にもどります。
潮につかり、重くなってるのでなかなか陸に上がれません。頑張れ〜。

そして日が暮れると、鯛に灯が入ります。

日が落ちると、鯛に火が灯されます。昼間とは全く趣きが変わりました。
昼間と同じく、中洲の街中を掛声とともに練歩きます。若い衆の底力に驚くばかりです。約2t の鯛みこし。


時間は夜10時すぎ。

神社に戻ってきたのは10時すぎ。場合によっては、11時をすぎる事もあります。
鯛をはなれ、若い衆から順番に祝込みの唄がはじまります。深夜まで続いた中洲の鯛まつりは、神社に「甚句」を奉納して終了します。

もともとは、中洲の大工がおもいつきで「はつかねずみ」の添えものを造った事から始まったとされる鯛まつり。担がれる神輿の形は変わってきたものの、大正の頃から今の「鯛」に定着し、豊浜のお祭りとして7月中旬に開催されています。因に、「鯛まつり」の名がついたのはいつの頃からかご存知でしょうか?意外にも新しく、昭和45年からだそうです。それまでは、「おもいつき」と呼ばれていましたが、日本ジャンボリーでこのお祭りを紹介する際、「おもいつきではあまりにもピンとこない…」それで、「鯛まつり」と名前を正式に決定したとの逸話も残っています。現在では5匹の巨鯛が造られる壮大なお祭りになりました。天下に知られる奇祭「鯛まつり」を体験してはいかがでしょうか。


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