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内田佐七邸

廻船業で栄えた古き良き時代を今に伝える、内田佐七邸。

こんにちは、知多半島ナビです。今回は、南知多町内海の歴史を語るのにはかかせない旧家、内田佐七邸をご紹介します。内田佐七邸は、南知多町の文化財に指定されている明治初期のお屋敷です。江戸時代より尾州廻船と呼ばれた海運業で栄えたこの街に残る船主の家屋で、当時の面影を今に伝えます。

150年の時の流れを感じる重厚なお屋敷。

春の陽気に誘われて、鶯の鳴く中、内田佐七邸におじゃましました。
江戸末期から明治時代にかけて、菱垣廻船や樽廻船とは別に、主に瀬戸内海~江戸間において廻船業を営んだ「内海船」という廻船集団があり、その中心地であった南知多町内海には、数艘の廻船を擁する有力船主たちが多数存在していました。江戸末期に建築されたこの屋敷は、有力船主の一人、内田佐七氏の住居でした。
初代は、文政元年(1818)中古の船から回船業を興し、幕末期には10艘の船を所有し、三重県内に出店を持つ大船主でした。
この屋敷は、常滑の瀧田家とともに、太平洋岸に現存する船主の家としては大規模なものだそうです。

それでは、中に入ってみましょう。


庭の片隅には大きな蔵が残されています。3つの蔵があり、こちらは主に米などを蓄えていました。
ベンチも置かれています。お屋敷や山の緑を眺め、当時の様子を想像してみましょう。
手水には、季節を感じさせる趣向が凝らされています。四方向に、「松に鶴」「梅に鶯」「竹に雀」「波に千鳥」。かつては季節に応じて向きが変えられていたそうです。

主屋に入ってまず目を惹くのが、重厚な軸組み。三段に組まれた梁は、内海の海岸に沢山生えていた松が使われているとの事。
かまどの煙出し、明かり取りの窓もみえます。
この土間は、「にわ」と呼ばれ、かまどや井戸が有り炊事や仕事場として使われました。


南知多町で創作活動を続ける芸術家の集まり「空の会」、山崎氏による切り絵のランプがお出迎え。たこつぼを使ってます。
かまどや井戸が、当時の生活を感じさせてくれます。
今でも水は豊富に汲上げる事ができます。

当時つかわれていた、鍋や器も残されています。懐かしい物がいっぱい。
「だいどこ」へ続きます。
奥に見えるのは、蠅帳でしょうか。

仏間の隣に神屋を並べ、神棚には左から金比羅宮・多賀大社・伊勢神宮・熱田神宮・秋葉神社が祀られています。航海安全に対する信仰の厚さが感じられます。
「だいどこ」の奥、神屋と仏間の前にあり、主人の居間や接客のために用いられました。床の間が設けられ、主屋では最も格の高い座敷となっています。この日は、大正時代の雛人形が飾られていました。
そしてさらに奥へと続く…。

ここから先は、奥様であろうとも、御当主の許しがなければ入る事ができなかった…。

次の間、上の間、茶の間。
高価な屋久杉が使われる天井板。これだけでもかなり貴重なものです。
上の間の襖絵は、明治時代の絵師、山川真全によるのもで、千鳥ヶ浜の松を描いたもの。

座敷の南側には、風情あるすばらしいお庭があります。京都から運ばれた鞍馬石でできた沓脱石、小田原からの根府川石、灯籠が並びます。
北にある小庭は、侘びた雰囲気の落ち着いた造りとなっています。

隠居には、内田家の足跡をたどる品々を展示。

内田佐七家は、幕末期には10艘近くの船を所有し、矢野(三重県津市)や四日市(三重県)に出店をもつ大船主に成長しました。明治時
内田佐七家の船は、買い取った積荷を運送先で売却する「買積」という方法で大きな利益をあげました。荷物を運んで運賃を得る「運賃積」も併用しました。瀬戸内や上方では、米や塩・畳表など、江戸やその周辺では、魚を原料とする肥料(干鰯・〆粕)や大豆・小麦などを積み、東西を往復しました。
内海とその周辺の船主たちは、戎講という組合を結成し毎年7月20日に船主や船頭が出席する会合を開き、組合に所属している船やその乗組員に対する統制策や各地の商人と円滑に取引する方策を相談しました。
明治代に入り、鉄道の登場、経済構造の変化などにより廻船経営が難しくなり、19世紀末には廻船業から撤退していきます。
3代目内田佐七氏は、隠居の1階で「東端郵便取扱所」を開業しました。知多半島で3番目の郵便局でした。
4代目内田佐七氏は、内海町長をつとめる一方、サンドスキーを成功させ、銀行の開設に寄与し、内海自動車合資会社を創設して観光開発に力を注ぐなど、内海の行政・経済に大きな影響力をもちました。
これらのパンフレット、写真等の資料は、南知多町資料館にも多く展示されています。


こちらは、別棟の隠居です。内海の尾州廻船を紹介するDVD はここで公開日には常時放映されています。
2階の様子。
1階部分には、内海船でかつて実際に使われていた道具などが展示されています。

船の模型等も展示されています。
貴重な展示物があります。南知多町資料館でも関係資料が多く展示されています。
佐七翁は内海の観光にも尽力しました。これは内海で行われていたサンドスキーの貴重な写真。隣にあるのは観光案内のパンフレット。

毎月、第1・第3日曜日には、ボランティアガイドが案内してくれます。

毎月、第1・3 日曜日には、みなみちたボランティアガイドによる案内のサービスがあります。
家田邸の入口には、南知多を詠んだ俳句を募る小箱が置かれています。優秀作品には、南知多の特産品がプレゼントされますので、旅の想い出に一句いかがでしょうか?

お屋敷を利用したイベントも行われています。

南知多の10人の芸術家で構成される「空(くう)の会」による作品展が毎年開かれます。
書と花器がみごとにお屋敷にとけ込んでますね。
なんどに飾られた焼物のオブジェ。お部屋の雰囲気がこんなにかわるんですね。襖の書は、内田佐七翁の直筆。

繊細なグラスアートは、豊丘にあるGLASS VALLEY 主宰、加川氏の作品。海外にも紹介されています。
お庭を見ながら、器を愛でる。ゆったりとした時間を楽しみましょう。
オブジェも何かを語りかけてきます。

東京フィルハーモニーのメンバーによるコンサートも開かれました。雰囲気抜群の演奏です。
庭もいっぱいになる程、多くのお客さんで大好評でした。
この時の様子は、山崎氏の切り絵で再現されています。
四季を通じて、いろんな催しが開催されています。

近所にも歴史を感じる見所が…。

屋敷のすぐ隣には、内田家の菩提寺である慈光寺があります。
境内への入口にある山門は、14世紀頃、裏山にあった一色城の大手門を移築したものとの事。
ここに安置されている『あごなし地蔵』は、江戸時代に内田家の船頭が隠岐の島から持ち帰ったもので、お参りすると歯痛が治ると云われています。
信心深い街であったのか、すぐ隣にも泉蔵院というお寺があります。海上交通の守り神として金比羅さんが祀られるこのお寺は、尾州内海船の組合である、戎講の参会(総会)の会場ともなりました。
知多四国45番札所として、多くのお遍路さんも訪れます。

名称内田佐七邸
ひらがな読みうちださひちてい
住所愛知県知多郡南知多町大字内海字南側39
ホームページhttp://www.town.minamichita.lg.jp/main/syakyou/uchidake/page_about.html
電話番号0569-65-2880
FAX0569-65-2883
営業時間9:00〜16:00(入場は15:30まで)
休日毎週土・日曜日、国民の祝日(年末年始を除く)が公開日になります。 
駐車場内田家前に約10台分の駐車場があります。 マイクロバス等は停めることができません。 大型車ご利用の場合は南知多町社会教育課にご相談ください。
予算/料金について入館料大人1人300円、中学生以下は無料。20名以上の団体は、大人1人270円。
タグ歴史・古い町並み
行き方(詳細)電車の場合/名鉄内海駅から徒歩20分。内海駅から 海っ子バス「白砂の湯前」下車徒歩3分。
車の場合/知多半島道路 南知多ICを下車。国道247号線を内海方面約10分。
行き方名鉄内海駅 徒歩20分
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