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梅原邸

日本を代表する哲学者、梅原猛の育った家。2013年公開は終了しました。

江戸から昭和時代にかけて醸造業を営んだ「梅原家」。日本を代表する哲学者、梅原猛は、生まれて間もなく養子としてこの家で育てられました。少年時代をここ内海でのびのびと過ごし、後に哲学者として名を馳せていく礎を築き上げていったのでしょうか。 公開に当たり、梅原家の所蔵品、梅原猛ゆかりの品々、切り絵、書なども展示されます。

江戸時代より続く、梅原家。代々醸造業を営んでいました。

知多半島では、古くから醸造業が盛んに行われていました。ここ内海でも最盛期では1件の造酒屋と13件の味噌醤油醸造所があったといわれます。中でも梅原半兵衛醸造場は江戸から昭和まで続く醸造所で、「はんべさ」と地元からも慕われてきた旧家です。四日市、伊勢にも出張所があり、当時の繁栄がうかがわれます。
名鉄内海駅の西側にある、約2000㎡の敷地には、今でも明治初期に建てられた主屋のほか、土蔵が残ります。平成元年に南知多町に寄贈され、改修工事の後「梅原猛友の会」により維持管理がされています。


工場、倉庫など現在では多くが失われていますが、主屋のほか、門長屋・納屋・数棟の土蔵が残されています。主屋は南向きの平屋建て、屋根切妻造り、桟瓦葺きとなっています。桁行き八間、梁行き四間で間取りは八畳、六畳二間の伝統的工法で造られています。主屋の東側にはなまこ壁の土蔵が建ちます。土蔵はこの他にも2つ残っています。


表札には、梅原半兵衛の名が残っています。山に半が梅原半兵衛醸造場の商標でした。
内海、馬場区のひっそりとした道沿いに門長屋が続き、その中央に表玄関があります。
西側には、工場跡地の広場が広がります。
表玄関を入ってすぐ右側にはりっぱな、なまこ壁の土蔵があります。ここは什器庫として使われていました。

屋敷の北西にはもう一つの土蔵が。この東隣にも土蔵があります。
梅原猛氏が平成11年に「文化勲章」を受賞した際に植えられました。敷地内には日韓友好親善に尽くした記念に贈られた木も植えられていました。

庭に佇む灯籠。明治時代のものでしょうか?
当時は焼物で造られた器に醤油を入れていました。
大正八年(1919)に送られた年賀状です。

玄関を入ると、旧家独特の雰囲気につつまれます。

玄関の土間の天井です。真っ黒くすすけた太い梁が目をひきます。
伝統的な日本家屋の造りですね。100年以上も前の建物がまだまだ存続できるのも、この立派な梁のおかげでしょうか。西洋建築とは違った、温かさと力強さを感じます。この奥には、炊事場がひかえています。


映画に出てきそうな雰囲気ですね。なにかちょっと怖い感じではありますが、どことなく懐かしい気持ちになります。神棚にも今では忘れ去られてしまった何かを感じます。
公開に際して、梅原猛氏の映像が放映されていました。「能」についてのお話でした。

欄間にも立派な彫り細工がされています。

渡廊下の先は、門長屋に続きます。

主屋の南向かいには、庭を挟んで門長屋があります。
猛氏による書や、氏の愛用品、古い写真等が展示されています。



屏風に貼られた直筆の書は、梅原家の菩提寺である妙音寺に納められています。
「故郷」に特別な思い入れのある氏ならではの書でしょうか。
失礼ながら、かなり趣きのある字体ですね。


学生の頃ずっと使っていた机と将棋盤。
猛氏が使っていた、面と小手です。東の土蔵に収納されていました。小手には「東海中学二年 梅原猛」と書かれています。

梅原半兵衛氏とは…。

江戸時代より醸造業を営み、地元から慕われてきた旧家である梅原家。梅原猛を養子とし育てたのは、8代目梅原半兵衛でした。若い頃より、政治へのあこがれはあったものの反対され断念。しかし地元民からの信頼も厚く、28歳の頃、若くして内海町長となりました。妻の俊は、小説家の小栗風葉の妹です。ずっと子宝に恵まれなかった半兵衛夫婦は、弟半二の長男である猛を養子として迎え我が子としてのびのびと育てました。その後50歳をすぎた頃、再び内海町長として、街の為に尽力しました。豪放磊落な人柄で、怒った所を見た事が無いとまで言われたそうです。同世代に生きた内田佐七氏とともに、内海を引っ張ってきたリーダーだった事が伺えます。


梅原猛氏とは…。

日本を代表する哲学者です。大正14年(1925)宮城県に生まれました。生まれてすぐに南知多町内海の名士で、醸造業を営む伯父夫婦の養子となり、青少年期まで海と山に囲まれて過ごしました。青年期には西田幾多郎・田辺元の哲学に強く惹かれて哲学の世界にのめり込みました。その後、哲学から仏教の研究に入り、その間に「隠された十字架」「水底の歌」を発表しました。その後縄文・アイヌの研究をはじめ「梅原日本学」を確立。現在は中世の文学・芸能としての「能」を研究。また劇作家としてスーパー歌舞伎「ヤマトタケル」「オオクニヌシ」、スーパー狂言「ムツゴロウ」「クローン人間ナマシマ」等の台本も手がけました。スーパー歌舞伎と言えば、南知多町内海中学校体育館が出来たとき、「ヤマトタケル」の一部が上演され市川猿之助さんが天井から降りてきた、なんてサプライズもありました。現在は京都に住んでますが、育った故郷を大切に思ってくれているのはありがたいですね。


実父は、養父半兵衛の弟である半二。当時東北大学の学生でしたが、下宿先の娘、石川千代との間に猛をもうけました。両家で二人の結婚を認めなかったので私生児として育てられることになりました。そんな折、母親は結核を患い他界してしまい、伯父夫婦(梅原半兵衛・俊)に引き取られ、内海で育てられました。その後半二は大学講師をやめ、バーの経営者に。そんな中、豊田喜一郎に誘われトヨタ自動車に入社。コロナの製作に携わるなど活躍しました。因にランドクルーザーの命名も彼であった。
抜群の成績で、旧制中学時代に東大間違いないとまでいわれた実父半二の子ども、猛氏。さぞかし勉強ができるかと思いきや、そうではなかったようです。海有り山有りののびのびした田舎暮らし。遊んでばかりいて空想好きだった猛少年は勉強をしなかったらしい。そのため中学受験に失敗しています。その後、京都帝国大学文学部哲学科に入学。日本を代表する哲学者としての道を進むのでした。


法隆寺は怨霊鎮魂の寺か。大胆な仮説で学界の通説に挑戦し、法隆寺に秘められた謎を追い、古代国家の正史から隠された真実に迫った作品。
稗田阿礼は藤原不比等だった?「古事記」には柿本人麿もかかわっていた?そんな仮説を裏づけるべく、古事記についての考察が、アイヌ語をもとに解釈されています。
世界最古の物語とされる、「ギルガメッシュ叙事詩」を、市川猿之助演出、平幹二郎主演による上演を想定して書かれた作品。中国の劇団も上演しました。

「空の会」の作家による作品も展示されています。

山崎修氏による切り絵のギャラリー。四季折々の梅原邸が繊細でありながらも力強く表現されています。
南知多町師崎に住む山崎修氏は、街の風景、生活を題材に多くの作品を発表しています。

デザイナーであり書家の酒井一氏による書の展示です。
「四弘誓願」とは、仏教を信ずる者が、まず誓うべき四つの基本的な誓いの事を言います。
「草木国土悉皆成仏」人間や動物はもちろん、草や木、国や土もすべて仏性をもっており成仏できるという考えで、猛氏がよく使われる言葉です。

敷地内には1本の柿の老木が。
大きな実をいっぱいつけています。
のどかな自然がまだまだ残ります。

梅原邸公開に関するお問い合わせは、内海文化遺産保存活用実行委員会 南知多町総合体育館内 0569-65-2880 でお願いします。


屋敷の周りにはこんな場所もあります。

持宝寺は、「山寺」ともよばれ晩秋にはきれいに色付いた銀杏が見頃になります。
梅原家の菩提寺である妙音寺は、千手千眼観世音が祀られています。
内海四天王「多聞天」。天保年間に妙音寺の住職が発願し、内海の町を守るべく、東方に持国天、南方に増長天、西方に広目天、北方に多聞天を四方に祀りました。

名称梅原邸
ひらがな読みうめはらてい
住所愛知県知多郡南知多町大字内海字馬場22・23合併地
電話番号0569-65-2880
FAX0569-65-2883
営業時間9:00〜16:00
休日公開期間限定(11月初旬) 
駐車場無料駐車場有り。約30台。
予算/料金について見学料は無料。
タグ歴史・古い町並み | ギャラリー
行き方(詳細)電車の場合/名鉄知多新線「内海駅」 西方向、徒歩3分。案内看板あり。
車の場合/南知多道路「南知多」下車、内海方面約10分。内海駅西300m。
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